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多文化を生きる

  • 執筆者の写真: Ngoc
    Ngoc
  • 2019年4月12日
  • 読了時間: 3分

更新日:2019年5月7日

外国人と会話したり一緒に遊んだり仕事したりしていることについて、まず想像するのが「言葉の壁」。お互いが発している言葉を理解できないと、会話も遊びも仕事も成り立ちません。多くの人がこのことを外国語の勉強動機にしているのでしょう。

けれども、今のテクノロジー時代に自動翻訳機も普及し、まったく知らない言語でも会話が成り立ってしまっています。

既に(常に)上級レベルを目指している人の反論としては「自動翻訳もまだまだ上級レベルにはなれず、通じないことが多い」。それも正しい。 一方、「ならば今後は語学を勉強する理由もないでしょう」と主張している人たちも、それはそれで間違っていないかもしれない。自動翻訳機で現状通じていないこともテクノロジーの進化で改善されてすぐに通じるレベルに達してしまうのかもしれない。


ただ、いくら自動翻訳機が上手くなっても、それが翻訳してくれるのは「言語」であり、「文化」までは翻訳してくれません。(か?)


日本でよく言われる「行間を読め」。「空気を読め」。 あー。テクノロジーの進歩でAIが空気を読める日が来ることを期待しています。 その日と、自分が自分で空気を読めるぐらいの日本語力を身に付けるのと、どっちが早いのだろうか。。。


それはさておき、「空気を読め」という文化は日本だけではないようだ。かなりのアジアの国、それから一部のヨーロッパーの国でさえ、そういう文化がある。 ↓こういうようなマップをきれいに作ってくれた良書もあります。是非ご一読をおすすめしたい。



ただこの本も、著者が「空気を読まない」文化出身だからか、出されている結論としては「多文化コミュニケーションの場面においてはなるべく行間を読むこと、空気を読むことを期待せずに、はっきりストレートに伝えましょう」となっています。 これはこれで間違っていないし、新しいことでもなく、むかしからみんな言っています。かなりの方々も実践して成功しているのでしょう。


けれど、私が思うに、ストレート文化の代表のアメリカでさえ、「行間」がないわけではありません。例えば、「ボディーランゲージは言葉よりたくさんの情報を伝える」と言ったようなことが有名で、アメリカでは学術のレベルまで研究され、名著もたくさん出ているぐらいに、アメリカ人も思っていることを全部言葉にしていないのです。 ビジネスの交渉等の場面だって、口に出している言葉と、本当に思っていることと違うのは普通で、相手も本当に思っていることを言い当てて交渉の有利を得たい、なんてことは普通なのでしょう。


国ごとの文化の特徴

おもしろいのは、ボディーランゲージで表される情報も、行間に隠されている情報も、各文化においてそれぞれの表し方、隠し方が違うけれど、結局最後の最後の人間の部分は同じように思えます。

これこそが究極な異文化コミュニケーションなのかもしれません。


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